ここ数年、ナチュラルワインは一部の人が消費するものではなくメジャーな存在になってきました。ナチュラルワインがブームになる前から造り手とワインに魅せられ、インポーターとして日本で販売を続けてきたヴィナイオータ社。その代表であり、ナチュラルワイン業界で知らない人はいないのが、太田 久人さんです。
オフィス兼自宅、セラー、そしてヴィナイオータ社が運営する「だだ商店 だだ食堂」のあるつくば市を訪れ、お話をうかがいました。
ヴィナイオータの倉庫には30万本ものワインが保管され、多くのファンに愛されています。日本にはワイン文化がなかったのにも関わらず、なぜこんなにも日本人の太田さんが海外の造り手たちに愛され、素晴らしいワインを見つけ出しているのでしょう。
僕はごくごく普通の学生で、大学生の時にアルコールデビューをしました。ビール、日本酒、ワイン…飲み会でたくさん先輩に飲まされましたが、どれも美味しいと感じませんでした。
転機になったのは、一本のワインです。ある日、とあるご家庭の息子さんの家庭教師をすることになりました。ご挨拶にうかがった際、「良かったら夕飯を食べてきなよ」とお誘いいただき、そこで初めてドイツのモーゼルワインを飲んだんです。
「美味しい」と感じると同時に、なんだか石がゴロゴロしているような、不思議な感覚を味わいました。果物を食べても「石みたいだな」なんて思ったことがないのに、なぜワインを飲んで鉱物のような味がするんだろうと。その時に「ワインは、風土を表現できるのかもしれない。ワインって面白いな」と思っちゃって。そこから、ワインにお金を爆投資するようになりました。当時の筑波大学生で一番、ワインと食事にお金をかけていたと思います。
大学院に進学する道もあったのかもしれませんが、大学5年のときに自分は別に勉強が好きではないと気づきました。これから何をしようかと考えたときに「もうこれは趣味を実益に変えるしかないのでは?だったら、ワインの道に進もう」と思ったんです。
当時、2000円台から4000円台で手に入るワインは国を問わず一通り飲んでいたのですが、フランス産ばっかりだったんですよ。イタリアワインとフランスワインの構成比は1対9もなかったと思います。でも、同じ価格帯だったらイタリアの方がブドウに力がある気がしたんですよね。料理もイタリアの方が自分の肌に合いそうだと感じていました。
また、フランスはご存知の通り、ワインの世界で商業の歴史を体系づけた国。30年前ぐらいの僕からしてみたら、イタリアに行けば、まだ日本で全く紹介されてないようなワインに出会えるような気がしたんです。
そう。イタリアに行けば、見れるものがたくさんあると、ある種の予感みたいなものがありました。でも、その当時は全然情報がなかったので、行ってから考えようくらいの感じでしたね。最初は、トスカーナ州シエナという小さな町に住みました。その後フィレンツェに移ったのですが、その際にソムリエの学校があることを知りました。ローマの学校であれば比較的早く修了できると聞いたので通ってみたのですが、僕には興味のない授業ばかりでした。
例えば、ワインを評価する際に、色が濁っていたらもう100点じゃないんです。濁っていようが色がどんなに悪かろうが、味が凄かったら僕は150点をつけます。色とか香りとか、どうでもいいのになと思いながら授業を聞いていました。
イタリアに渡って3年ほど経った頃、親から電話がありました。「いい加減に何か仕事を始めろ」と。ソムリエとしてイタリアもしくは日本で働くなど、いくつか選択肢がありましたが、最終的には親に借金をして1万本のワインを買い、ヴィナイオータを立ち上げました。
僕が事業を始めた当時は、イタリアからの混載便はなかったんですよ。だからどうしても、フルコンテナを借りなきゃいけなかった。小さいコンテナでも1万本ぐらいは必要なんです。
また、僕が事業を始めた26年前は、まだ市場にナチュラルワインがうっすら現れ始めたぐらいだったと思います。日本には言葉すらなかった時代に、こんな感じで勢いで始めました。
でも1年経たないうちに「自分はワインが好きではないのかも」と思い始めちゃったんです。
ガイドブックで最高評価をされていたワインであっても、必ずしもそれらのすべてが感動をもたらしてくれるわけではないということに気が付いてしまったんです。世間での評価基準と自分の感覚に、大きな乖離がありました。
世界で評価されているワインを理解できないんだとしたら、この業界でやっていくのはちょっとつらいのかって。
そんなとき、ある東京のシェフの方からこんなことを言われました。
「太田くん、La Biancara(ラ ビアンカーラ)の取り扱いを始めたらいいんじゃない?太田くんなら、もっとラ ビアンカーラのワインを広められる気がするんだ。僕から話してあげるよ」
そうして25年前、ラ ビアンカーラを訪ねに行ったんですけど、そのときに言われた言葉を、僕は一生忘れないでしょう。今のヴィナイオータの全てであり、始まりだと思っています。
「俺は森のようなブドウ畑を実現したいと思ってるんだ。森が森であるために、人が肥料を撒いたり、極端にお世話をする必要はないだろ?自然から賜ったぶどうに、できるだけ何も足さず、何も引かずに、ワインの瓶の中に詰め込みたいんだ」
ワインの世界には、「テロワール」という特別な言葉があります。彼が言ってるのが、まさにテロワールの話だと思ったんですよ。当時のガイドブックで言及されていたことは、造りの技術的な側面がもたらす個性の話ばかりで、土地に由来するようなストーリーは全く書いてありませんでした。ですので、端的な言葉でテロワールの重要性を表現した彼の言葉は、僕にとっては本当に衝撃的でした。
僕は、人はそれぞれ個性的であるべきだと思ってるんですけど「個性」っていうのは別に変な色のシャツとパンツを合わせて演出するものではなくて、標準搭載されているものだと思うんですよ。それをどう磨き、その人独特の色、光みたいなものを放つか。ワインの個性をどうやって引き立たせるか、思いを馳せる造り手に興味を持つようになりました。
最近では、ブームになった影響からか、ナチュラルワインであることがゴールになっている気がします。でも、僕にとってはスタートライン以前の話なんですよ。どれだけの個性を詰め込むかが究極のゴールで、そこへ向かうために必要なのがナチュラルなメソッドです。
無添加のその先にテロワールを表現できていないのなら、残念ながらそれほど意味のあることではないんですね。これがもしかしたら、昨今のブームと僕自身の考えの間にある差かもしれないです。
そこからは、紹介の繰り返しでした。今、うちを代表する造り手のRadikon(ラディコン)やLa Castellada(ラ カステッラーダ)、Massa Vecchia(マッサ ヴェッキア)も、ラ ビアンカーラに紹介してもらいました。あとは、僕自身が何となく見つけてきたり、逆に造り手同士を繋げたり。そんなことをしながら現在に至ります。
カステッラーダに、とあるイタリア人のディストリビューターが来た際、こんなやりとりがあったそうです。
カステッラーダの造り手が、「うちのワイナリーのことをこの世で一番理解してる人間を1人挙げろと言われたら、僕は太田だと思う」と話したら、「なに馬鹿なことを言ってるんだよ!」と、リアクションされたそう。それに対して彼は「よく聞け。僕と太田はもう20数年間の付き合いだ。1万キロ離れたところから年2回、あいつは訪ねて来るんだよ。そんなやつは他にいない。国籍が違うとか、イタリアじゃないだけで、なぜ決めつけられるんだ。自分のことを恥ずかしいと思った方がいいぜ」と、本当に怒ってくれたそうなんです。
その言葉はとても嬉しかったんですけど、同時にびっくりしました。他の人は、年2回ですら彼の元を訪ねていないのだと。僕が近所に住んでたら、多分毎週のように行ってると思うんですよ。
僕たちの共通項はワインですから、もちろんテクニカルな話もします。でも、どちらかというと自分たちの人生の話をしますね。
ラディコンのワインが売れなかった時期があるんですけど、最近色々な方から「なんで売れなかったのに買い続けたんですか」って聞かれるんですよね。そう言われてみると、確かにその通りです。でもやっぱり、ただただ好きだったんですよね。ワインも造り手自身も。世界が理解するかどうかは二の次でした。
ガイドブックで評価されるようなワインをラディコンも造ってた時代があって、すでに名声はあったんですよ。だけど「俺のじいさんが作っていたワインの方が、感情に訴えかける」と、昔ながらの作りに原点回帰したんです。
周りからは「クレイジーだ」とか色々言われたそうですが、彼自身は「めちゃくちゃ面白いワインができるぞ!!」と、目をキラキラさせていました。
どんなにキャリアを積み重ねて成功しても「もっと先があるんじゃないか?」と信じて、恐れることなく強い決断を踏み出せる。とにかくそれがかっこよかった。
最終的には思いの強さだと思います。ある楽器を上手に弾く演奏家が100人いたとして、その中のごく一握りの人だけが、心を打つ演奏をすると僕は思ってるんですね。じゃあ上手に弾けるっていうことと、人の心を打つ演奏の差は何かというと、やはり情念・情熱だと思います。そういう人は、仕事に対して自分を込めるというか、考え抜いて悩んで、テクニックの向こう側にいこうとしているように感じます。
僕は、天才の中の99.9%以上が「努力することを諦めなかった天才」だと思うんですよ。努力することを厭わない人ですね。なぜ彼らは努力を諦められなかったのか?努力をし続けられたのか?
答えは、もう「好きだったから」に尽きると思うんですよね。大好きだから諦めたくない。
そうやって、好きなことでお金を稼がせてもらえる喜びと、努力を続ける苦しみを受け入れた人だけが、最終的に驚異的なパフォーマンスを叩き出すのではないでしょうか。
自分の心の声に従い真摯にワインに向き合ってきたからこそ、素晴らしい造り手に出会い、太田さんはご自身の世界を広げてきたのかもしれません。 誰かにもらった感動を、ワインの販売だけではなく食堂、オフィス、さまざまな形で表現されている点が印象的でした。 後編では、太田さんが今後どのような未来を描き、行動を始めているのか、そのためのカルチャーづくりを中心に、深くお話をうかがいます。ぜひお楽しみに!
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